コミュニケーション

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コミュニケーションというのは、すなわち情報の相互伝達のことだと思っていた。大事なのは情報の内容が正確であること、情報量が多いこと、今までずっとそう思っていた。確かにそういう一面はある。

昔のPCには「COMポート」というものがあった。communication portの略だ。そこにモデムをつないで、パソコン通信などをよくやっていた。新婚旅行の時も海外からNifty Serveへ接続して、現地の人から聞いたクラゲの話を書き込んだりしたものだ。そのフォーラムでシスオペしていた小飼弾が、こんなにブレークするとは夢にも思っていなかった。

このような機械同士のコミュニケーションであれば、重要なのは単位時間あたりの情報転送量ということになろう。モデムは早いに越したことがない。しかし、人間同士ということだと話は別だ。無言で見つめ合うことにどのくらい情報量が含まれるのか検討もつかないが、そういうコミュニケーションが最も効果的な場合もある。最近になって、ようやく分かってきた。

人同士のコミュニケーションが対面しなくても成立可能になったのは、ごくごく最近のことだ。コミュニケーションの方法の選択肢は山のように増えても、人にとってのコミュニケーションの基本形は、今も昔も対面による会話なのだ。メールやSkypeを1万回するよりも、直接あって10分間話をしないと伝わらないこともある。そんなことに、最近やっと気づいた。

そして「何かに気づく」時というのは、たいていはそれが手の届かないところにあるときだ。水や空気のありがたみは、無くならなければ絶対に気づかない。直接会うことの重要性は、近くにいるときは絶対に気づかない。

人はいつか、とおく離れていても深くコミュニケーションを取れるようになれるかもしれない。できれば今、そうなっていて欲しかった。