ノーウィンドウの魅力
初めてMacintoshを見たときの感動は、今でも忘れられない。医師免許をとってすぐ、ワープロを買うために秋葉原へ行ったときのことだ。帰るときの車の中には、お目当てのワープロの「Rupo」と一緒に、何故か巨大な白い箱が助手席に鎮座していた。人生で初めての衝動買いだった。
その小さな白黒画面のコンピュータには、「マウス」という角張ったデバイスが付いていた。マウスの動きに同期して、画面の中の矢印がスムーズに動くのだ。ソフトを起動させると、ファイル毎に画面の中に「ウィンドウ」が表示され、複数の書類を並べて見ながら編集することができた。マウスで書類に絵を描いたり、好きな場所にカーソルを動かしたり、ウィンドウのサイズや位置を変えたり、すべてが直感的に思い通りに動いた。何もかもが今まで使ってきたパソコンとは違っていた。以来、画面の中にいくつものウィンドウを広げて操作することが当たり前になっていた。情報量が多いほど、作業効率も良いはずだと思い込んでいた。
そのソフトに出会ったのは、3年ほど前のことだったと思う。「WriteRoom」という名前のそのシンプルなソフトは、私の文書作成法を根本から変えてしまった。それまでは「ウェブブラウザ」などを立ち上げて情報収集しながら「アウトラインプロセッサ」に書きたい項目・フレーズ・断片的なメモを放り込み、各パーツを移動したり情報を追加したりしながら文書を完成させていくのが私のスタイルだった。それが一番効率がいいと思いっていた。でもそうではなかった。
「WriteRoom」を立ち上げると、画面上には何も見えなくなる。自分の打ち込んだ文書以外は、本当に何も見えないのだ。他のソフトのウィンドウはもちろん、時計もメニューバーもバッテリーインジケータもスクロールバーもウィンドウの枠も、何もかもが見えなくなる。それは「シングルウィンドウ」ではなく、「ノーウィンドウ」状態だ。他に何も見えなくなることで、文書作成への集中力は否が応にも高まる。そして何よりも、使っていて気持ちがいい。
結局、人の脳が一度に処理できる能力なんて、たかが知れているのだ。たくさん情報が見えているからと言って、そのすべてを脳が効率よく処理できるわけではない。必要ない情報は、むしろ見えないほうがいいのだ。その思いは、iPadを使い始めてさらに強くなった。大抵の作業は、ノーウィンドウ状態が一番効率が良い。たしかにマルチウィンドウで様々な情報を見ながら作業するほうがやり易いことはある。でもそんな作業はめったにないのだ。
ヒトの脳の能力は限られている。「文書作成」というタスクに脳を集中させるためには、「ノーウィンドウ状態」こそが最適の方法と断言しよう。