Twitterの功罪

私は、自信を持ってこう言える。Twitterという情報インフラは素晴らしい。今回の震災や原発事故だけに関しても、Twitterからの情報に毎日助けられてきた。地域ごとの放射線量の状況や計画停電の予定変更はもちろん、通勤などの交通機関の状況や、コンビニの品揃えまで、Twitterがなかったらどうなっていたか考えるとぞっとするほどである。誰もが気軽に情報発信者になれ、しかもその情報がリアルタイムで流れてくる、重要な情報は「リツイート」という機能で拡散しやすい、検索もできるというところがこのインフラの長所であろう。

http://geobabble.files.wordpress.com/2009/11/twitter_256x256.png一方で、その長所はそのまま短所にもなっている。誰もが情報発信者になれるということは、デマを簡単に流せるということだ。たとえ本人にその気がなくても。

伝言ゲームを思い出してほしい。たった数名を介して情報を伝達しようとしただけで、その内容がまるで変わってしまう。情報伝達にはノイズがつきものなのだ。そしてTwitterは、いわば世界規模の伝言ゲームなのだ。大事な情報を拡散させようという「良心」が、デマの創造・デマの拡大につながるのだ。それはなぜか?

メールの場合は、伝言ゲームになはらない。元のメールの文章を残して自分の意見を書き加えれば、情報のロスもバイアスも発生しない。一方でTwitterには140字という字数制限がある。伝達の過程で何人もの人が自分の意見を追加していくと、元の文章を削除しなければならなくなる。オリジナルの情報が消えて行き、ノイズが増えていくのだ。しかもそのノイズはランダムなノイズではない。

もう一度伝言ゲームを思い出そう。このゲームでは一度に複数の情報が流れることはない。各プレーヤーには情報を選ぶことはできない。流れてきた情報を機械的に次のプレーヤーに受け渡すだけだ。ノイズは基本的にランダムであり、特定のバイアスはなく、最終的には無意味な情報となることが多い。

Twitterはそうではない。各プレーヤーのもとには大量の情報が流れてくる。その中から重要と思われる情報を選択し、時には意見を書き加えて再発信する。重要さの基準は多くの場合「正確さ」よりも、危機感を煽る「過激さ」となる。プレーヤーは「良心」に則って「重要」な情報に自分の意見を加えて再発信する。ノイズはランダムではなく、より「重要」な、つまり、より「過激」な方向へ向かうため、伝達の世代が進むほど、バイアスが蓄積されていく。

Twitterを利用するときには、情報のバイアスに留意しなければならない。その情報を何らかの形で利用しようとするのであれば、オリジナルの情報へと遡るべきだ。幸いにもTwitterの情報を遡るのはそれほど困難ではない。誰かの「つぶやき」を鵜呑みにするのが危険なのは、バーチャルワールドでもリアルワールドでも同じことだ。