囚人のジレンマ

民主主義や資本主義がうまくいくためには、「個々人が適切な選択をすれば、全体としても適切な方向へ向かう」という仮定が必要となる。この仮定の反例としてよく利用されるのが、「囚人のジレンマ」という問題。

ふたりの囚人が別々の個室に収監されています。囚人同士は連絡ができません。ふたりに対して、警官がこう言います。
・ふたりとも黙秘したら、ふたりとも懲役2年。
・ひとりだけが自白したら、自白した方は懲役1年。黙秘した方は懲役15年。
・ふたりとも自白したら、ふたりとも懲役10年。

http://doope.jp/media/10q4/img2147_01.jpg全体的に考えれば、ふたりとも黙秘をするのが最適解であることは明らか。

さて、あなたが囚人のひとりだったらどう考えるだろうか。ここでポイントとなるのが、囚人同士の連絡ができないということ。もう一人が自白するかどうか、あなたにはわからない。だから、どちらの可能性も考えなければならない。

まず、もう一人が自白すると仮定しよう。あなたが自白しなければ、あなたは懲役15年、自白すれば懲役10年。あなたは自白したほうが得になるわけだ。

ではもう一人が自白しなければどうだろう。あなたが自白しなければ、あなたは懲役2年、自白すれば懲役1年。やはりあなたは自白したほうが得になる。

つまりこの状況では、個人の立場で考えると,もう一人の行動がどうであれ、自白したほうが得になるのだ。全体的に得をするためには、あなたは黙秘すべきなのに。

ではこのジレンマが、資本主義や民主主義では「最適解」へ辿りつけないということを意味しているのだろうか? 社会主義や独裁主義こそが,実は最も正しい答えへと我々を導いてくれるというのだろうか?

ポイントは「連絡」、つまり情報伝達にあるように思う。今何をするのが最適な選択なのか、その情報をすべての個人のレベルまで伝達し,正確な知識を集団で共有することができれば、「囚人のジレンマ」つまり個人の状況判断と集団の利益の最大化の乖離を克服することができるはずだ。

万人において知識の共有が不可能な時代であれば、独裁主義にもそれなりのメリットはあった。しかし情報インフラの整備された現代においては、資本主義や民主主義こそが、やはりあるべき姿なのであろう。