ゼロリスク症候群
日本人はとにかくリスクの存在を嫌う。その背後には、リスクは完全にコントロールできるものだという考えがあるように思う。「備えあれば憂いなし。」きちんと対策を立てれば、あらゆるリスクを根絶できる。そんな考え方が日本では一般的なのだろう。でも実際には、そんなことはあり得ない。およそありとあらゆる行為はリスクを伴う。
もちろんリスクを減らすことはできる。そのためにはそれなりのコストが必要だ。そしてどんなに莫大なコストをかけても、リスクを完全にゼロにすることはできない。マスコミも馬鹿だから「想定される最大のリスクは?」などという質問をするが、そんなものは存在しない。リスクの分布は切断分布ではなく、長いテールを持っている。どんなリスクを想定しても、それ以上の被害が起こる可能性は存在する。10mの堤防を作っても、15mの津波が来れば防げない。リスクとはそういうものだ。
ほんのわずかのリスクでも、日本人は許さない。だからある程度のコストを掛けてリスクを小さくした上で、「安全だ」と説明せざるを得ない。そして残ったリスクは全て「想定外」として扱われる。実に不毛な議論だ。有限なリソースの中で妥当なリスク管理をしようという発想自体が存在しない。
日本人はリスクを嫌う。たとえわずかのリスクであっても。そういう人にとっての興味の対象は、リスクがあるかどうかということだけである。リスクの定量的評価ということには興味がない。だからリスクをきちんと評価するという文化が育たない。リスクとコストを天秤にかけ、適切な落としどころを見つけるということができない。情報があっても量的な評価ができず、安全か危険かという両極論に走るしかない。イデオロギー的な対立からは、何も生まれてこない。
日本人は、もっとリスクに正面から向かい合わなくてはならない。ベネフィットとリスクは表裏一体だと理解しよう。リスクの分布をきちんと評価し、その存在を認めた上でリスクと共存していこう。ベネフィット・コスト・リスク、この三者のバランスを考えて、最善のバランスを目指していくべきなのだ。