宇宙の終わり
子どもたちが幼い頃、多摩六都科学館というところへよく行った。子供向けの施設ではあったが、プラネタリウムや展示の数々は、おとなが見ても楽しいものであった。そんな派手な展示物が並んでいる隅のあまり目立たないところに、カミオカンデの光電管が展示してあった。
2002年に小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞したことは、少なくとも私にとっては記憶に新しいところだ。受賞理由は「天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献」である。岐阜県の神岡鉱山跡に「カミオカンデ」という巨大なニュートリノ観測装置を作り、世界で初めて天然のニュートリノの検出に成功した偉業に対して送られたものである。しかし、小柴博士が「カミオカンデ」を作った目的は、「宇宙ニュートリノ」の検出のためでは決してなかった。超新星爆発由来のニュートリノを検出できたのは、幸運以外の何者でもない。もしこの幸運がなければ、「カミオカンデ」は結局何の成果ももたらせなかったかもしれない。前提となる仮説が、結果として誤っていたからだ。
「カミオカンデ」建設の本当の目的を一言で表すと、「陽子の寿命の測定」である。言い換えると、「この宇宙に終わりが来ることを証明する」ということだ。この世界に存在する物質は、全て何らかの原子の組み合わせから出来ている。原子には原子核が必要であり、原子核には陽子が必要だ。陽子に寿命が来ると、ニュートリノとパイ中間子に崩壊し、パイ中間子は反ミュー粒子とミューニュートリノに崩壊する。崩壊すれば、もう物質に戻ることはない。つまり陽子に寿命があるということは、この世に存在するあらゆる物質には寿命があることを意味する。十分な時間さえあれば、すべての物質は消え去るのだ。
カミオカンデ建設時の仮説では、陽子の寿命は10の30乗〜10の32乗年程度と予想されていた。そこで陽子10の33乗個分の物質を用意しておけば、1年間に何回かは陽子崩壊により発生するニュートリノを観測できるはずだというのが、カミオカンデ建設の基本コンセプトである。それを実現するため、純水3000トンと光電管1000本からなる巨大な施設が作られた。しかし結局カミオカンデは、純水からの陽子崩壊は一度も観測できなかった。しかし、これは陽子に寿命がないことを示しているわけではない。事実、多くの理論物理学者が支持している「大統一理論」が正しければ、陽子にはやはり寿命があり、宇宙には終りが来るはずなのだ。
もちろんそれは10の33乗年以上未来のことであり、その時まで人類が存続している可能性は限り無く低い。しかし高度に発達した科学を背景に、人類が「宇宙の終わり」に必死に抵抗する姿を思考実験するのは、とても楽しい暇つぶしになる。もっとも「Qべえ」のような解決方法は、絶対に願い下げだが。