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スティーブ・ジョブスという男は、昔からコンセプトメーカー、ビジョナリストだった。「今ある技術を組み合わせると何ができるか」とか「顧客は今、何を求めているのか」などということには、全く関心がなかっただろう。彼の興味の対象はただ一つ、「ヒトにとって最適なテクノロジーとはどうあるべきか」ということだったはずだ。目指す目標の実現のためには、あらゆる妥協を許さず、過去の遺産の継承にも目もくれなかった。3.5インチフロッピーディスク、CD/DVDドライブ、IEEE1396インターフェース、他社に先駆けて取り入れ、そして真っ先に排除していったテクノロジーは数しれない。
彼は一度Apple社を辞めているが、その当時のMacintoshは明らかにハードとソフトのバランスが取れていなかった。処理速度や効率だけを見れば、Windowsとの差は歴然としていた。目指しているものと実現できるものとの乖離、当時のMacintoshの挙動はジョブスの苦悩そのものだった。
その後のハードウェアの進歩は、ジョブスの理想と現実との距離を限りなく近づけてきた。ハードウェアの制約を気にせずにビジョンで勝負できる今の時代は、ジョブスの天下と言っても良いだろう。でもそれはまだ単体のハードウェアに限ってのことだ。ジョブスの持つ「クラウドの理想」の実現には、まだ相当の時間がかかるかもしれない。
AppleがかつてPCの世界ではMacintoshで負け続けたように、今のAppleはクラウドの世界で負け続けている。2000年の「iTools」、2002年の「.Mac」、2008年の「MobileMe」と名称を変えながらサービスを展開してきたが、いずれも理想的なクラウドシステムからは程遠かった。2011年の秋には「iCloud」として生まれ変わることになるが、おそらくジョブスの理想はこんなモノではないはずだ。少なくともクラウドの存在を意識しなければならない実装は、理想とは呼べないだろう。
かつて Sun Microsystems, Inc がその設立時に、「The Network is The Computer」というスローガンをかがげていた。現状のネットワークは、まだ単なる通信インフラに過ぎない。しかし今後のネットワーク技術の進歩や大規模データウェアハウスの実現によって、Sunのスローガンが実現される時代が来るだろう。それは、ユーザがローカルとかクラウドとかまったく意識することなく、処理内容に応じてネットワーク上の利用可能なリソースが自動的に最適に配分され、データ処理やデータ保存がおこなわれるということだ。そしてその時にこそ、ジョブスのクラウドシステムへのビジョンが明らかになるはずだ。今から楽しみに待っていよう。